#003 Anniversary Interview with Motoki Matsuoka
音楽プロデューサー 松岡モトキ
Swinging Popsicle 平田博信、藤島美音子、嶋田修
インタヴュー・テキスト 黒須誠/撮影 山崎ゆり
今年インディーズ・デビュー20周年を迎えたSwinging Popsicle のアニバーサリー対談第3回は、音楽プロデューサーの松岡モトキさんです。松岡さんはギターポップバンドBL.WALZ(ビーエル・ワルツ)のメンバーとして、1990年にポニーキャニオンよりアルバム『モノクロームの冒険』でメジャーデビュー、その後は音楽プロデューサーとしても活躍し、BONNIE PINK、アンジェラ・アキ、Superfly、シュノーケル、見田村千晴など多数のアーティスト作品を手がけられてきました。
今回ポプシクルの20周年企画の一環として、彼らのメジャーデビューを手がけた松岡さんとの記念対談が実現、今だから話せる懐かしのデビュー秘話中心にお話を伺いました。
松岡さんはロフトから先にBL.WALTZで、デビューしていたバンドとしての大先輩だったんです(平田)
●本日はSwinging Popsicle(以下、ポプシ)が結成20周年のアニバーサリー企画の一環で、デビュー当時から深く関わられていた松岡さんとの対談を企画させていただきました。
松岡モトキ 「こうして話をするのって実ははじめてじゃないかな。今までありそうでなかったよね」
平田博信(Ba/Cho) 「そうですね、改まった対談というのはなかったですね」
●松岡さんはデビュー当時、ソニーでポプシを担当していたプロデューサーだったと伺いました。ポプシクルとの出会いから教えてもらえないですか?
平田 「さかのぼると大変ですよね(笑)。最初グラウンドで出会ったところからになるのかな」
松岡 「平田が新宿ロフトで働いていたんだよね。そのとき僕はBL.WALTZというギターポップバンドをやっていたんですよ。ロフトというのは縦の関係があって、一緒に働いていようがそうでなかろうが先輩後輩との関係や交友があったんですね。それで当時ロフトには野球チームがあって、そこで最初に出会ったんだよね。確か平田から今度ポプシのライヴやるから観に来てください、と誘われたんだよな」
平田 「松岡さんはロフトから先にBL.WALTZで(ポニーキャニオンから)デビューしていたバンドとしての大先輩だったんですよ。僕が働いているときにはもう松岡さんはロフトにはいなかったけど、ロフトを卒業した先輩ってことで仲良くさせてもらっていたんです」
松岡 「当時僕のバンドのベースが抜けたりしたこともあって、平田に手伝ってもらったりもしていたんだよね。並行して僕はプロデュースの仕事をやりはじめていて、本格的に手掛けた最初のバンドがポプシだったんですよ。同時期にはボニー・ピンクをプロデュースしたり、ザ・ブリリアント・グリーンのバンマスもやっていたんだよね。その後はアンジェラ・アキやSuperflyなどもプロデュースして、現在に至ると」
●ポプシクルのプロデュースをするキッカケは何だったのですか?
平田 「メジャーデビュー前に出した『sunny silent park e.p.』のレコーディングのときに松岡さんがスタジオに遊びに来てくれたんですよ。それで松岡さんから色々とアドバイスをしてもらったこともあって、当時ソニーのディレクターに松岡さんにプロデュースしてもらおうと思うんですけどって相談したんです。それからは自然の流れですね」
松岡 「そうそう、だから“レコーディングします、初めまして!”ではなくて、前からのつき合いがあって自分としても老婆心ながら応援していたんですよ。彼らもレコーディングが初めてだったから、もっとこうしたほうがいいよ! ってね。今みたいに簡単にレコーディングができる時代じゃなかったから、慣れていないとわからないことも多かったからね。例えばチューニングは440Hzなのか441Hzなのかってところからね(笑)」
●メンバーからしたら知っている人がプロデュースしてくれることは安心だったんじゃないですか?
嶋田修(G/Cho) 「そうですね。僕も当時宅録しか知らなかったから、ちゃんとしたスタジオで大勢でレコーディングするのが初めてだったんですよね。ノウハウが全くなかったのでそれを教えてもらいましたね」
「Joy」はもともと英語の曲で、日本語にシフトしていくのが大変だった(藤島)
●最初に松岡さんが担当されたのはメジャー1stシングルの『Joy Of Living』ですか?
松岡 「正式にはそうだけど、その前のミニアルバムのときからレコーディングがにはちょこちょこ立ち会っていたからね(笑)」
藤島美音子(Vo/G) 「そう、だから正式にはってことですよね。確かJoyの歌は新宿のタイヘイスタジオで録音したんだよね」
嶋田 「楽器は信濃町にあったソニースタジオだったかな」
松岡 「ミックスは麻布十番のファームだね」
平田 「ポプシでは最初にドラマーがいたんですけど、ドラマーが抜けたあとBL.WALTZの小西さんにお願いしていたんです。そんな縁もあったんですよね。2ndライヴからはずっと小西さんだったんですよね」
松岡 「そう、だから最初は近い人間関係からスタートしたんだよな」
●僕が知らないだけなんですけど、当時のレコーディングは複数のスタジオで録音するのが常だったんですか?
嶋田 「というか、当時のディレクターがそれぞれの楽器に合った音を録るのにふさわしいスタジオを知っていたんですよ。そこはサウンド・ディレクターの意向ですね」
松岡 「あとは予算との関係もあるからね。ソニーでデビューするからソニーのスタジオは使いたいよね、とかでも確か当時はニーヴの卓※にはこだわっていて、どこいってもニーヴの卓があるスタジオを選んでやっていたよね」
嶋田 「今から考えると贅沢ですよね(笑)」
松岡 「そうそう、卓で選ぶという、時代背景もあったんですよ」
●ところで音楽プロデュースといっても範囲があると思うので、ここで松岡さんとポプシにおけるプロデュースの範囲をもう少し具体的に教えてもらえませんか?
松岡 「確かに、プロデュースというのはアーティストによってやり方が全然違うからね。極端な例だと曲作りからやる場合もあるしね。ポプシのときはバンドの持っているカラーを最大限に引き出すこと、それを考えていたね。その上にプラスもっとこうしたらよくなるんじゃないか? っていうのを提案するのが僕のやり方だったね。だから例えばだけど、彼らが作ってきた曲をサンバ調にアレンジしてみよう、といったことはしなかったな(笑)。素材があるものをブラッシュアップしていくという感じだね」
●ポプシクルが作ってきたデモを聴いてそれを大事にしていこうということなんですね。
松岡 「そうだね、ポプシクルは最初英語でやっていたんだよ。その英語でやっている良さってのはすごくあって、ミニアルバムで一枚出して。そこからメジャーでやるとなったときには目指し方が色々あって、ポプシのときも英語でいくか日本語でいくかは結構悩んだね。例えばボニー・ピンクも英語で歌っていたり、日本語で歌っていたりしたしね。ブリグリも英語で歌っていたりもして、どちらがいいか悩む時代だった。ただ日本では英語の歌ではなかなかヒットしづらいという状況もあって、日本語にしたんだけど、その葛藤はすごくあったね。メジャーに行く、じゃあそこでバンドがやりたいことと、世の中が求めていることをどうやって折り合いをつけるか、プロデューサーといのは中間管理職、現場監督みたいなものだから・・・。メジャーに行くけどポプシクルの良さを失わないようにして、でも世の中に広く受け入れられるような作品を目指そう、とそれで頑張ったんだよね。メンバーからも多くの人に聴いてもらいたいという気持ちは伝わって来たしね。いいバランスがとれたらいいなと思ってた」
藤島 「特に[Joy of Living]はもともと英語の曲だったんですよ。デビュー曲なんだけど、既にそれまでにライブでは英語で歌っていたんですよね」
松岡 「デビュー曲としてはやっぱりJoyがよかったんだよね。でも日本語でと」
藤島 「そう、日本語にシフトしていく作業がなかなか大変だったんです」
平田 「日本語にシフトしてすぐにFM802でのヘビー・ローテーションが決まったんですよ。それでディレクターからも“ほら見ろよかったな!”ってね(笑)」
松岡 「当時からFM802はすごい影響力があったからね」
平田 「それで広く知られるようになったから、長い目で見たらチャンレジはしてよかったなと思いますね」
嶋田 「当時はヘビロテがどれくらい凄いことかよくわからなかったんですよ。今となってはその凄さはよくわかるんですけどね(笑)。あまり実感なかったんですよ」
●僕は当時学生でFM802聴いていたんですけどすごかったと思いますよ。未だにファンの間でも人気の高い曲ですしね。
松岡 「802のヘビロテは、業界でも注目を集めたしね」
ポプシはね、“ちゃんと歌えるヴォーカリストの存在”がよかったんですよ(松岡)
●当時ポプシクルをプロデュースする際に大事にしていたことって何ですか?
松岡 「サウンド面だと、ちょうどスウェディッシュ・ポップが流行っていた時代で、渋谷系のシーンがまだ残っていたんだよね。HMVがまだ残っていて、最初はそのシーンのニューカマーの位置づけとして扱われていたよね。」
藤島 「ちなみに『sunny silent park e.p.』が渋谷のHMVチャートに入ったんですよね」
●確か2位だったんですよね。
平田 「1位がUAだったんだよね(笑)」
藤島 「よく覚えてるね~(笑)。チャートに入ったのが嬉しかったという事しか覚えてないや(笑)」
松岡 「お店に行ったらすごく面出しされていてすごかったからね」
嶋田 「あれは圧巻でしたね」
松岡 「さっきの話に戻るけど、ポプシはね、“ちゃんと歌えるヴォーカリストの存在”がよかったんですよ。以前藤島さんのフェアグランド・アトラクションのカヴァーを見たことがあってすごかったんだよね。ポプシより前のバンドの時なんだけど。それと渋谷系のサウンドの組み合わせがね。一般的な渋谷系の女性ヴォーカルは、ウィスパーヴォイスというかもっと可愛い感じじゃない? それはそれでいいんだろうけど、その中にあって“ちゃんと歌えるヴォーカリストが渋谷系のサウンドをやる”のがとても面白いと思ったんだよ。いい曲をしっかりしたヴォーカルで歌うのが一番ポイントで、他にはない良さだったと思う。お洒落で可愛いんだけど、雰囲気だけじゃなくて音楽としてちゃんとしているってのがね。シマッチの書く曲と藤島の歌の力が絶妙だったんだよね。そこを平田がしっかりと支えていたんだよね」
嶋田 「確かにやっぱり藤島さんじゃなかったら[Joy of Living]なんかは違う感じになっていたと思いますね。例えばカヒミカリィさんのような囁く感じのヴォーカルだったらあのアレンジにはならなかったと思う。藤島さんあってのJoyというのはありましたね」
松岡 「僕自身もプロデュースをはじめたばかりのころだったから、ポプシクルをやれて本当にいい経験になったんだよね、ポプシクルには感謝してるんだよね。あとまた時代の話に戻るけどこのころはレコーディングのやり方が変わる過渡期で、今より断然に大変だったんですよ」
●例えばどんなところですか?
松岡 「例えば歌入れひとつでも今は録音したあと、あとはいい感じでやっておきます、といったようにソフトでピッチを直したり、歌声を修正できちゃうんだよね。でも当時はしっかり録って手作業でつなげていたからね、ヴォーカルなんて当日の体調にもよるし、うまく歌えないときは悔しかったよね。Joyもギリギリでできあがったんだよね」
藤島 「手さぐりでしたもんね。実は[Joy Of Living]は歌い直しているんですよ。1回録って、“できた!”と思ったら、“ちょっと守りに入っちゃったね、藤島らしさが出てないよ。もっとはっちゃけたほうがいい”と言われて録り直したんです」
松岡 「最初だし、妥協せずにいこう、というのがあったんだよ。
●以前から気になっていたんですが、ポプシクルだと1stアルバム『Swinging Popsicle』と2ndアルバム『Fennec!』でサウンド・ディレクションが大きく変わっていますよね。『HEAVEN』もそうですが・・・これが何か理由があったんですか?
松岡 「アルバムを作る際にあらかじめコンセプトを決めていたわけではなかったので、自然とそうなったんだよね。渋谷系のサウンドイメージもありつつ、そこから広がって60年代ソフトロックの要素もいれていった感じかな。シマッチもそういう曲を作ってきたしね。だから個人的には何気に『HEAVEN』好きなんだよね。」
嶋田 「基本的には僕がカッチリしたアレンジでデモを作ってきて、松岡さんやディレクターさんに聴いてもらって音作りをして・・・という流れだったので。ただスタジオマジックがやっぱりあって。スタジオでギターを録っているときにギターテックさんが来て、いいひずみだね、と言いながら音を作ってくださって、僕一人ではできなかったんですよね。だからグループで、チームで音を作った経験がすごくよかったなと思っています」
●アルバムごとにサウンドの方向性が変わっている中で、プロデュース面で気をつけられていたことはありますか?
松岡 「やっぱり3人の持っている空気感かな。さっきも話した歌とサウンドはもちろんあるけど、こればかりはバンドでしか出せないものなんでね。その空気感が見えるようにはしたいなあと思っていましたね。[遊びにおいでよ]なんかは、当時の楽しそうな遊び心のあるポプシクルのイメージをよく表していたと思いますね」
●ジャケットでいうと、初期はオレンジやグリーンなど明るいポップな色使いが多いわけですが?
松岡 「僕はジャケットにはノータッチだったんですよ(笑)」
藤島 「ジャケットでいうと、『HEAVEN』ではモノクロ、セピアカラーになったからお客さんからみたらイメージがガラッと変わって見えたんでしょうね」
松岡 「これも多分時代の流れもあって、このころになると渋谷系も落ち着きはじめていたから、はっちゃけた感じではなくて、アーティスト寄りに、大人っていうわけじゃないけど落ち着いた感じになったんだよね」
音だけでプロデューサーの個性がわかるってすごい(嶋田)
●ここで三人に伺いたいのですが、プロデュースされる立場になってよかったことって何でしょうか? 今はセルフプロデュースをされているので、その比較とでもいいますか。
嶋田 「やっぱり客観性ですよね。当時からよく“森を見なさい”と言われていたんですね。細かいミスばかりを気にしないで全体の流れを見なさい、と」
●なるほど、ただプロデュースされるということは、色々言われることもあるわけで、そこに対する抵抗感みたいなものもあったと思うのですが?
嶋田 「100%ないって言ったらウソになりますけど(笑)、松岡さんは音楽的なルーツも僕らと近いんですよね。ソフトロックも大好きだし、60年代70年代80年代のシンガーソングライターも好きだし根っこが同じものに影響されている分、描くイメージが近かったのでやりやすかったですね」
平田 「僕はBL.WALTZで最初ベースを弾かせてもらっていたこともあって、松岡さんはレコーディングなりバンドの運営方法なり、マインドなど全てにおいて、兄貴であり先生だったんですよ。全く知らない人にプロデュースされていたらまた違ったんでしょうけど、BL.WALTZからの流れがあったので、自然に接してもらえたのがすごくよかったですね。メンバーのパーソナリティもわかってくれていたので」
藤島 「私は歌入れまではずっと歌詞を作っていたんですよね。インディーズとは違って制作は同時進行でやっていくので、みんながスタジオで楽曲を作っている間に私は廊下で勉強みたいに歌詞を考えていたんです。歌詞はディレクターの方に見てもらっていたんですけど、松岡さんも相談にのってくれて。松岡さんはさっき話にも出たようにレコード会社と私たちの間の立場だから、私の気持ちも理解してくれるし、でもレコード会社から言われていることもあるし、葛藤があって大変だったと思います。ただ松岡さんはミュージシャンでもあるのでそこはやりやすかったですね。みんなそうですけど、何よりも全てが勉強になったということですね。このメジャーでの勉強期間がなかったら今のセルフプロデュースはなかったと思うんです。そりゃ細かいことは色々あったと思うんですけど、今こうして20周年を迎えられているのは当時のプロデュースがあったからだと思うんですね」
●少し話がずれるかもしれませんが、松岡さんは著名アーティストも含めてメジャーシーンで長いことプロデュースをされているわけですが、サウンド面のクオリティについて詳しく教えてもらえないでしょうか?実は複数のミュージシャン・リスナーからポプシクルはインディーズに戻ったあとも、サウンドのクオリティをずっと維持しているのが凄いという意見を以前から聞いていまして・・・。インディーズでずっとやってきた人とメジャーを通ってきたバンドではサウンド面において違いが出やすいらしいんですね。確かにそれは僕も感じることがあるんです。もちろんインディーズでやっていてもすごくいい音で録っている人もいるんですが・・・。
松岡 「メジャー・クオリティ・・・難しいですね(笑)。まずはどういう心持ちで演奏するかが大事ですね。よくライヴはスタジオでやっているときのように、レコーディングスタジオのときはライヴをやっているようにやるとグルーヴが出るって言われるんですが、そういうもんなんですよ。あと長年の経験からすると、“楽器の鳴らし方”には大きな違いがありますね。楽器の鳴らし方を知らない人は本当に多いから、その鳴らし方を体感できるのはメジャーでのメリット、インディーズとの大きな違いでしょうね。ギターの弾き方ひとつとっても大きな違いがあるんですよ。特にドラムは顕著にそれが表れるんですよね。ポプシにドラマーはいないけど(笑)。それと最近の子だとバンドで一緒に演奏したことがないっていう人もいるんですよ。ドラマーでさえも自宅のV-Drumで叩いてきて“結構いい音しますよ”なんて言うんだけど、やっぱり生音ならではの違いはあるし、バンドらしさがなくてね。今の子って言ったら語弊があるかもしれないけど、演奏が上手い子はたくさんいてそれはすごいことなんだけど、クリックやリズムの正確さを求めすぎちゃっている傾向もあって、ある意味みんな同じに見えちゃう。上手いのとバンドならではのグルーヴ、個性は別ものだから、多少リズムがクリックに合っていなくてもその場でみんながOKだったらいいんじゃないかという考えも少なくなってきているしね。メジャー・クオリティというのかわからないけど個性を大事にというか、他の人、他のバンドにはないものを活かすっていうのが大事な中で、みんなで一緒に音を出して、そこに専門のエンジニアがついていい音で録る経験というのが大きな違いなんでしょうね。まあ時代も変わってそれだけが一概にいいというわけでもないんでしょうが」
嶋田 「それはすごく思いますね。言われたようにギターの弾き方、音の作り方、鳴らし方全部含めて僕の基礎になっているんですよ。それがあるから今もクオリティを保てているんだと思いますね。それと少し話が脱線しちゃうんですけど、最近見田村千晴さんの曲を有線ですごく聴くんですよ。そのときにサウンドからもしかして松岡さんかな? って思ってWikiで調べたら本当に松岡さんの名前があったんです。音だけでプロデューサーの個性がわかるってすごいなって思って」
松岡 「本当? ありがとう(笑)」
いつかまた一緒に演奏できたらいいなと、音楽仲間でいてもらえたら(松岡)
●ポプシクルは、結成して20年たつんですが、松岡さんからみて彼らが今も音楽を続けられているのは何故だと思いますか?
松岡 「何でって言われてもねえ(笑)。あ、でも一年前に久しぶりにポプシクルのステージを見たんですよ。それがすごくよかったんです。知らない曲もあったんだけど、ポプシクルらしいカラーがあって進化していたんですね。昔のほうがよかった、ではなくてちゃんと現在の良さがあって。本人たちはどこまでわかっているのかわからないけど(笑)、本人たちの味が出ている、やりこんでいる感じ、成長していると思うんですよ。それが続いている理由なんじゃないですかね。前の方がよかったね、懐かしいねあの曲、といった雰囲気だと無意識のうちにトーンダウンしてしまうと思うんです。それがさっき[afterglow]を聴いたときに、20年前とは違う今の20年経った[afterglow]をちゃんとやれているから、そういうことだと思いますね」
藤島 「そういってもらえたのは本当に嬉しいですね」
松岡 「多分・・・ポプシクルはいい意味で今はいい距離感で音楽と向き合えているんじゃないかなと思うんですよ、三人が。デビューしたてのころ、ポプシクルにとっては全てがポプシクルだったからね。今は他への楽曲提供もしながら、ポプシクルにもちゃんと向き合えているように思うからそのバランスがいい感じがするんだよね」
平田 「松岡さんと僕らって10年くらいは離れていたんですけど、離れていてもわかってくれているんだなというのが今の話を聞いてて思いましたね」
松岡 「自分が関わったアーティストにはなるべくちゃんとやってほしいと思うし、1年前のライヴを見た時にほんとよかった!からね」
●最後にメンバーから松岡さんにメッセージをお願いします。
平田 「松岡さんは僕にとってバンドの兄貴であり、先生でもあるんで、松岡さんに教えてもらわなかったらこれまで続けてくることができなかったと思うんで元気でやっていくことが松岡さんへの恩返しかなと思っているんです。これからも松岡さんには色んなプロデュースをやっていってもらいたいし、お互いに元気でまた音を出したいなと。さっき松岡さんからポプシクルのライヴを見たら成長しているのがわかったと話してくださったんですけど、音にはそういうものが詰まっているんですよね。だからこれからも音でわかりあえるようになっていったらいいなと思います」
嶋田 「今平田君が言ったように、10年前に離れてからもずっと気になる存在なんですよね、松岡さんは。あと自分がギターの音を録るときって何%かは必ず松岡さんを意識している自分がいるんですよね。特にJoyのころに一緒にレコーディングをさせてもらったときの経験が脈々と40過ぎた今でもあって、それはすごいなと思いますね」
藤島 「一番最初にお会いしたときも、ライヴを見て感想をくださって…。折に触れ松岡さんはいつのまにか私の歌を聴いてくださっていて、感想をいい感じのペースで伝えてくれるんですよ。ちゃんと認めてくださっていてのプロデュースだったんだなというのをすごく感じます。レコーディング中での出来事で、とても印象深く覚えていることがあって…。ちゃんとした次のアイディアを考えないまま、これはヤダ!ということを言っちゃったんですね、私が。そしたら松岡さんが、”ヤダって言うんだったら、じゃあ、こうしたらどうかという意見を用意してから言いなさい”、と言ったんです。ただ嫌だというだけじゃなくて、ここは違うなと思ったらちゃんと代案を用意してから言わなきゃいけない。それは今でも一応守りたいなと思って、やってはいるんですよ。正直当時はカチンときたけれど、それは音楽に限らず、人との付き合いにおいても大切なことだと思うので、そういう意味でも教えてもらって本当に感謝しています。そして、これからも折に触れ、歌をほめてくださいね(笑)」
●最後に松岡さんから。
松岡 「まずは何と言ってもバンドをこうして続けてくれているのが嬉しいよね。昨日平田とバンドのリハに入ったんだよ、20年ぶりかな、一緒にやったのは・・・。昨日もちょっと平田には言ったんだけど、昔の友達や知り合い、同級生に会ったときって飲んだりしながら昔話をして、よかったねー、なんて言うのが普通なんだけど、ミュージシャンだと一緒に演奏できるのが楽しいよね。“このリズム感、平田だ!”ってね。一緒にこうして演奏できると大事な仲間なんだな、っていうのをすごく感じるんだよ。いつかまた一緒に演奏できたらいいなと、音楽仲間でいてもらえたらいいなと」
嶋田 「音で会話してるってのは素敵ですね」
松岡 「ほんと、そうなんだよ。よくないバンドってのは自分の音しか聴かないんですよ。自分以外の演奏している音をどれだけたくさん聴いているのかがいいミュージシャン・いいバンドだったりするので、それができるってのはいいよね。それに今回のような機会を設けてくれて呼んでいただいたことがすごく嬉しいしね、ありがとうございます」
●話は尽きませんが、時間もきましたので、本日はありがとうございました。